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2016年4月26日 (火)

Kumamoto Earthquake April 2016

我が青春の熊本、24歳から31歳の7年間に熊本市新町に住んでいました。熊本城は熊本のシンボルです。そして、阿蘇や天草と風光明媚な土地です。夏はアスファルト道路が黒く変わるほど暑く、冬は盆地のせいか、とても底冷えの激しいところでした。

 
加藤清正のことを「せいしょうこう(清正公)」と言って熊本のヒーロー的扱いでした。朝鮮餅や辛子レンコン、馬刺しなど他の地域では味わえない食べ物も多いところです。私の住んでいた近くの市電の電停が蔚山(ウルサン)といい、一つ上った電停名は段山(ダニヤマ)といい、まさに1500年代末に行われた朝鮮征伐時に朝鮮の職人さんを連れて帰ってこの辺りに住まわせたところでした。
 
そんな素敵な熊本が2016年4月14日並びに16日早朝の地震により熊本県北部と大分県山間部に大きな被害が起こり愕然としてしまいました。
 
熊本城の損壊はショックですね。1607年に出来上がって、西南戦争時に天守閣が焼かれて以来の損壊ですが、409年の間、被害がでる地震がなかった証明でもあります。九州は本当に地震の少ないところという言い伝えを覆すような地震です。
 
阿蘇の崩落事故もメディアで伝えていましたが当初は南阿蘇あたりと思っていましたが一昨日にGoogleで調べてびっくりしました。阿蘇のカルデラの最西端において切れ目があります。立野という地名です。そこに国道57号線が熊本市側から入り込み阿蘇火口の北側に進みます。
 
谷の深い川とJR豊肥本線が並行しています。立野の町からカルデラの切れ目を超えて北側に進むとそこに阿蘇大橋があります。これを渡ると南阿蘇村へ進みます。橋を渡ったすぐに東海大学が位置しています。
 
なんとこの阿蘇大橋が谷に崩落した画像でした。
9右側の山と左下の緑の一部が阿蘇のカルデラです。川が何万年もかけてこの切れ目を作りました。左下から右上に走る道路が国道57号線です。手前が熊本市や立野です。先は阿蘇市、大分方面につながります。すぐ山沿いにはJR豊肥本線が走っています。
 
右下の逆S字の道路が国道57号線から分岐して、南阿蘇、高千穂、延岡につながります。
この分岐点に阿蘇大橋が架かっていました。上の写真では見事に消えてしまいました。山側の崩落がJR豊肥本線と国道57号線を破壊し、さらにちょうど分岐点となる阿蘇大橋の西側部まで流してしまい、阿蘇大橋自体を完全に谷川に落としてしまいました。
 
私も熊本時代には阿蘇山へ何度もこの道路を通って登りました。仕事でも南阿蘇を通って延岡へ行きました。阿蘇大橋は1971年に竣工しましたが、自殺の名所になったために飛び込み防止策が設けられ、さらに阿蘇大橋東部北側のスペースに「まてまて地蔵」があります。
 
これは自殺者を防止するために祭られているそうです。今回、画像をたくさん調べましたが崖っぷちに地蔵が残っていました。JR豊肥本線の線路も流されていました。一刻も早く復旧を願うところですが、数年かかりそうな被害と思われます。
 
当ブログでIOTAレポートをする中でいろいろな技を使えるようになり自分で細かいこともできるようになりました。熊本、大分の一日も早い復旧をあらためて願うところです。

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