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2020年4月 4日 (土)

懐かしい1980年代後半のJA-IOTA DXベディションとそのQSLカード

表題に近いタイトルのメールがJA2のG-OM(本名 JH2XQY 後藤OM)から届きました。まずはそのQSLカード3枚のご紹介です。

Iota-qsl-ja6akv01

上から
1985年のAS-036 対馬 下県郡
1988年のAS-032 種子島 西之表市
1989年のAS-040 五島列島 福江市

JA6AKV 松永さん、JA6DUI 山本さん、JA6LNS 大和さんが中心でゴールデンウィーク中の運用。

JAのQSLを確認中に、1980年代のJAによるIOTAペディションを見つけられました。懐かしさを感じ「当時は島の局と無線で繋ぐというのにロマンを感じてQSOしてました。」と送ってくださいました。

実は1994年にJN6RZMにて再開局、1997年にIOTAを開始しましたので、このお三方の交信はできなかったし、いまでも三人ともに接したことはないのですが、この運用のことはよく存じ上げているんです。

それは、1997年4月30日にCQ出版社から届いた日本語版IOTA Directoryの9ページに掲載されていますIOTA ファン(NDXA reportより)に掲載され紹介されているんです。現在でもIOTAチェイシングを楽しんでおられます奈良県にお住いのJA3UCO細川さんが所属される奈良DXアソシエーションの会報記事の抜粋にこのお三方の紹介と細川さん自身もこれらのIOTA移動に夢中になり追い求められたことを書いてあります。

「1982年から1989年にかけて、JA6AKV、JA6DUI、JA6LNS 各OMが九州の島々をまわっておられたのをよくぞQSOをし、QSL-CFMしておいたものと我ながら感心しております。これがなければ云々」とその前後の文章と負わせて強烈なIOTAへのインパクトをいただきました。

このJA3UCO細川さんの書かれたページは私のIOTAの原点と言ってよいほど何回も読み返しました。IOTAの面白さ、楽しさを鼓舞してくださったページでありいまでも大切にしています。ロマンという言葉はありませんが、JH2XQY後藤さんのメールメッセージとほぼ同じキーワードが重なっていましたので驚き紹介させていただきました。

【追記】
「他にも2000年代は2000年のJA4PXE/6 AS-056、1999年のJF6WTY/6 AS-067もありました。当時のIOTA先駆者ですね。」とありました。残念ながらJA6AKV、JA6DUI、JA6LNSの3局の消息はわかりません。QRZ.comにもありません。JA4PXE桑原さんは残念ながら癌でお亡くなりになりました。Club Log Matchingが提供されました時にAS-056 JA4PXE/6のログを探してアップできないかトライしましたができませんでした。JF6WTY林さんは鹿児島美術館の館長をされご多忙ですね。お元気にされています。

 

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