AS-152 RI0Q 島に到着
日本時間の昨夜に島の北側ではなく、西側に着いたようです。島の所有者から情報をいただいてベースとなる基地にいるかもしれません。日本時間2021年3月20日23時58分の位置です。
島の北側ですとJA方面は島影にはいる可能性があります。
ここからこのままベースキャンプとして運用を開始すればJA方面は見事に開けています。3月20日のIgor日記を転載します。
3月20日。
シンダッスコを早朝8時頃に出発しました。私たちはハタンガ湾に沿って、時には海岸に沿って歩きました。ユリョン・トゥムス半島に向かって、ほぼ直線で動いていました。対流圏通信局を放棄してケープコシスティを通過しました。駅の巨大なアンテナは非常に遠くに見ることができます。16:00頃、私たちは廃村にてノルドヴィクにいました。私たちは何事もなくそこに着きました。私たちは半島の海岸に行き、目の前に果てしなく続くハンモックの畑が開かれましたが、そのようなことはありませんでした。ユリョン・トゥムス半島とボリショイ・ベギチェフ島の間には、3〜5メートルの巨大なハンモックがあると地元の人は言いました。しかし、私たちが自分の目でそれらを見たとき、スピーチの力はなくなっていました。昨日、島の所有者との非常に重要な会議がありました。彼女は夫が3月7日に島にいたと私たちに話しました。「痕跡があるに違いない。それを見つければ、間違いなく島にたどり着くだろう。」- 彼女は言いました。私たちはそれを見つけるのに苦労しましたが、見つけました。何度か紛失し、徒歩で探して先に進みました。海岸から島まで-24km直接。これらのうち、17kmはハンモックの列です。私たちは島まで4時間歩いた。19:30に、後続のスノーモービルがベジチェフの土手に到着しました。万歳!私たちはボリショイベジチェフにいます。2時間で、私たちはトナカイの牧畜民の基地に着きました。ステパニーダは昨日私たちがここに定住することを許可しました。今日はこの親切な女性に何度も感謝しました。そして、男たちは彼女のために最初の乾杯をしました。ステパニダの指示がなければ、これらのハンモックを通過することはほとんどできなかったでしょう。私たちは夜を過ごすためだけに2つの小さな小屋を暖めました。明日はキャンプを設置し、アンテナを設置し、まもなく放送されます!
と、日記を書いています。この2軒の小屋の近辺なのか、島の北側へ移動してキャンプを張るのかわかりません。時間的には日本時間21日の正午前くらいから運用を開始するのではないでしょうか。
2016年4月にAS-152 R3CA/0 Dzhangylakh Islandより雪上車から20mSSBにて運用されています。私のアパマンアンテナでは2回ほどコールコピーをするのがやっとでコールすることもできませんでした。当時にビームアンテナご使用のIOTAチェイサーの多くが交信できていると思われます。従いまして、パイルはその分が少なくなると考えられます。ご協力をお願いいたします。
ご参考にIOTA-R0 Wanted list 2018には61局のエントリをいただいていますが、未交信は41局と結構残されています。
【追記】
2021年3月21日午前1時21分に少し南側へ移動しています。海岸に近づいたようですが、情報不足で海岸は浜辺なのか絶壁なのかなど確認できません。昼前くらいから起きだして動きが出てくるでしょう。
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