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« OM2SA扱いのQSL発行は既にできず(その2) | トップページ | I do not accept IRC's as of January 1, 2016 »

2016年2月 6日 (土)

IOTA-AS 大陸別アワードを一生懸命に追いかける

1997年版IOTA Directory日本語版をCQ出版社から取り寄せて、IOTAの研究を始めたのが1997年5月のことでした。それまでは、CWによるDXCCの毎日でした。当時はコンディションもよく、このAPA-4を使用して3年くらいで250エンティティに達していました。

 
さらにAPA-4の仕様書では40-20-15-10mバンド専用でしたが、WARCバンドの30-17-12mでも結構DXが楽しめました。これらの7バンドでも100か国ずつのQSLカードを受領し、いよいよもって目標を失いつつありました。そのような折、IOTAはDXCCの二番煎じという固定概念を崩したのがIOTA Directoryを入手したことでした。
 
Directory巻末にあるIOTAリストをいつの間にか自然に付け始めていました。1970年代に前のコールで回収したQSLカードもチェックしましたが、いろいろ思い出があり、一日中、過去QSLを眺めていた記憶があります。チェックが終わった時には100に到達せず、年内にIOTA100アワード取得が目標となっていました。二番煎じがあっという間に解消しました。
 
製本された日本語版IOTA Directoryにはいろいろなコラムがあり、かなり深く読み込みました。面白さが滲みでてきます。
 
当時はJAのIOTA申請者は46名という少なさです。
①「ニューワンとレアーワン 1995/96」では過去2年間のIOTA Activationが一覧で掲載されていたため、必死で過去ログから探し出し、SASEを発信しました。すっかりIOTAにのめり込んでしまいました。
 
②「IOTA プログラムのルール」では最初にIOTA100/200/などの数のアワードとは別にアジアやオセアニアなどの大陸別アワードがあります。その大陸のIOTA中、75%を得る、もしくは75件以上のQSLというルールを当初は75%のみで考えていましたが、75件の意味を知るや大発見のように感じて取りに行動しました。
 
さらに「新アワード取得者一覧」のページでは1996年のIOTA100の何番目は誰が取得したというレベルで記載されていました。個人情報の関係で現在はありません。ここで、IOTAオセアニアは75件でとりやすいのですが、逆にIOTAアジアがとても取りづらく、オセアニアの発行連番号がちょうど100番でしたが、アジアは48番でした。
 
その年の目標をIOTA-ASの二ケタ番号取得とまだJAでの申請者がいないことが分かりましたのでIOTA-ASの「1st JA」にしました。
 
1998年1月にIOTA100(1478)取得、99年1月にIOTA200(805)とIOTA Oceania(135)取得しました。2000年はIOTA300に届かず、しかしIOTA Asiaに届きそうと必死で頑張りました。しかも二けたのシリアル番号を狙いました。
 
なんとか2000年1月にIOTA Asiaを75件クレジットできました。あとは二けたであることを願ってアワードを待ちました。春が過ぎ、夏が来て夏も過ぎ、秋が来てしまいCP JAのJA9IFF中嶋さんに問い合わせました。
 
なんと私のIOTA Asia申請を見落としていたので至急に手配するとの回答が戻りました。普通はIOTA100/200/300などの基本アワードに、IOTA-OC/ASなどの大陸別アワードがぶら下がって申請されるようですが、大陸別アワードのみであったための失念が原因でした。
 
6~7か月ほど遅れた2000年11月にIOTA ASIAアワードが届きました。シリアル番号は「92」でした。やりました。目標の二けた番号を見事にクリアしました。しかし、残念ながら1st JAはではなく確か3番目くらいだったと思います。それでもIOTAプログラムを十分に理解し大陸別アワードに早くに着手して楽しんだという実例でありました。
 
Img060 
少し見づらいですが、私のIOTA ASIA アワードです。シリアル番号は92番の見事な二けたです。物凄く嬉しかったです。発行年月日は「30 October 2000」と記念すべき思い出深い年月日です。恐らく失念なければ一つ二つ程度の違いと思います。
 
この様なことで「二番煎じのIOTAなんか」から「たいへん面白いIOTA」へ変わっていきました。
 
AF/AN/AS/EU/NA/OC/SA別に管理することにより、他のIOTA chaserとこれらの数字や構成比を比べると自分自身の強み、弱みの大陸を把握することができます。どうぞご参考ください。
 
ご参考
IOTA100   No:1478  Date 05 Mar 1998
IOTA200   No: 805  Data 19 Feb 1999
IOTA-OC  No:1354 Date 19 Feb 1999
IOTA-AS   No:  92  Date 30 Oct 2000
IOTA300   No: 669  Date 23 Feb 2001
IOTA400   No: 535  Date 14 Feb 2002
IOTA500   No: 517  Date 06 Feb 2004
IOTA-EU  No: 530  Date 06 Feb 2004
IOTA600   No: 457  Date 12 Feb 2007
IOTA-NA  No: 376  Date 07 Oct 2007
最後のIOTA-NAは2008年1月のクレジットを待ちきれずIOTA-NAのシリアル番号を前倒しにするために2007年10月に申請したものです。                                             
 

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コメント

私のIOTA-100は、No.1480 です。連番、おしい!
同時申請のIOTA-200は、No.708。
その後、1年間で100件も発行されていた事になります。

四十物さんの期待に応えて、すべてのIOTAアワードのシリアルナンバーと取得年月日を追加しました。

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