OC-248 T88SI Sonsorol Islandの2nd operationを望む
表題のOC-248 T88SI Sonsorol Islandの運用は2002年2月にIT9YRE Nando、IZ1CCR Maurizio、そしてG3KHZ Derekの3人により運用されました。私は見事に交信をし損ないました。JAからも近く、信号も強力でしたが初日はパイルが厚くコールバックを得られないまま、後輩の結婚式で大分へ行き重なってしまい見事に逃してしまいました。
ところが捨てる神に拾う神が現れました。翌月の2002年3月にT88BAがヨットで南パラオの島を回り始めました。見事にSonsorol島ではなく、Tobi島からの運用と交信できました。なんとラッキーなことでしょう。
T88BAはあまりIOTAルールの知識がなかったために本人のT88BAやマネジャへ連絡し、島名の明記など懇切丁寧に説明し、裏面に運用島名のTobi Islandの記載をしてもらい、見事にOC-248 T88BA Tobi IslandのQSLを2002年4月に受領しました。OC-248 T88SI Sonsorol IslandのQSLカードよりもはやく受領しましたので世界一早いのOC-248コンファームに成功しました。とても嬉しかったことを思い出します。
OC-248は2003年1月にIOTA申請を完了しました。ところが11年後の2014年6月に当時のRSGB IOTA Committeeより6個のNew IOTA誕生が発表されました。なんとOC-248 South Palau groupがOC-248 Sonsorol Islands と、OC-296 Tobi and Helen Islandsに分割し新しいIOTAが誕生しました。
私が2003年1月にクレジットを受けたOC-248 Tobi Island T88BAはOC-296へシフトしてしまいました。K9AJ等によるOC-296 T88XXなどが運用され正式に認められた時点で実行されました。私は再びOC-248のクレジットを失ってしまいました。当ブログでも数回ほど紹介しました。
2014年ころに2002年にT88SIを実行したIZ1CRR Maurizioさんから連絡があり、Sonsorol Islandに興味があるようだがFacebookにSonsorol Islandのグループを立ち上げているので参加しないかとの連絡をいただきました。
すぐに仲間にいれていただきましたが、5年前はゆったりした感覚の写真が多かったのですが、少しずつ時間の経過とともに島内でもOA機器が映っている写真などが多くなってきました。ココナツの葉を使った建物から建物もコンクリート作りに変わってきました。何もない島から、何でもそろっている海外へもたくさんの情報を発信できる島へと変わってきました。
おそらくSonsorol Islandへの往来できる定期便などが発達してきているように感じます。IZ1CRR Maurizioさんは5年前に2回目のOC-248 Sonsorol Islandの運用を考えていると言われていました。2002年の1回のみですので20年近くになろうとしています。
Sonsorol Islandの住民の方の投稿も随分と増えてきましたが、特徴として日本姓の現地の方の投稿も結構あります。戦前、戦中まで日本の統治領だった関係でしょう。意外と日本に近い島でもあることがわかります。 ここ数年でOC-248からの第2の運用を期待しています。
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