AS-007 Take Island に間違いないようです
愛知県蒲郡市の海岸に位置します竹島は本土から400mほど離れ橋が架かっていることで、AS-206 Honshu's coastal Islandsに所属するのではないかと検討しました。市役所のウエブに本州側から橋の周りで半分ほど潮干狩りが行われる写真を見つけました。現地のJA2局に確認のお願いをメールにて送りました。
み入れ替わるように愛知県生まれ育ちのJE6HCLさんからメッセージをいただき、「干潮時は橋の下が砂州で繋がり歩いて渡れる」とのご報告をいただきました。JA2の局超さんからのメールを待っていましたが本日18時時点で未着でした。
今年の3月にも神奈川県の江の島を同様に調べました。江戸時代に招かれた東海道五十三次の浮世絵に当時から江の島へ歩いて渡っていることを確認していました。同じ太平洋側で数千年もかけて作られた島が同じような気候や海流で作られていることに共通点を見出しました。
まさか、福岡のJR博多駅から蒲郡まで干潮時の砂州の確認へ行くこともないと考え、愛知県蒲郡市の竹島はAS-007と判断されると思います。
今回もIOTAルールの素晴らしさと面白さを感じました。
それは、私の福岡市内を歩き回った経験に基づきます。博多区に櫛田神社と美野島(簑島)、福岡市の中央区、早良区、城南区に草ヶ江、荒江、片江という地名があります。博多湾の入り口には金印が発見された志賀島がありますが、60年くらい前は橋が架かっていていました。現在は完全に陸とつながっており、島という名称は過去のものです。博多駅前の櫛田神社は現在の入り口は昔は裏口で、現在の裏口玄関前は船着き場でした。
博多湾の海からの上がり口に櫛田神社が存在していました。現在は中洲川端商店街の入り口にもなっています。さらに美野島はIslandでした。まさに時代が1300年くらい遡るとAS-012だったんです。草ヶ江などの江が付く地名はすべて船着き場(港)であった場所です。草ヶ江は大濠公園の南側に石碑が残っています。福岡城の西側に大きな堀、大堀が昭和元年に東亜勧業博覧会後に整備され大濠公園に改称されました。
福岡市は海を埋め立て、その跡で博覧会を次々に開催しています。「お金、入場料をとって多くの入場者に柔らかい地面を踏み固めてもらう」という方法で街を発展させています。
草ヶ江、荒江、片江などはすべて博多湾とをつながっていました。片江を流れる樋井川にかかる橋の名前にも島廻橋という地名が残っています。現在の博多湾の海岸線から15kmから20kmくらいは1500年くらいの間に埋め立てられてきたことが証明されます。美野島のように九州本土(AS-077)に埋め立てて吸収された名も残っていない島がいくつかあったことでしょう。
福岡の例をあげましたが、日本全国にも「島」が付いた地名は昔、むかし、大昔は本物の島だった可能性があります。調べてみると面白いです。IOTAの200mルールもそのあたりが考えられているのか否かわかりませんが、世界中の200mの経験から決定された可能性を感じてしまいます。なぜ200mにされたのか、機会があればCezarさんに聞いて見たいです。
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