IOTAを始めるきっかけを作ってくれた局を探し出しました
1994年2月に100ワット機と5階ベランダからAPA-4を振り出して再開局しました。アパマンアンテナでどれくらいDXをできるものやら不安でしたが、CWでは結構聞こえていましたのでとにかく呼びまわっていました。1995年9月に1年後半後に近くの11階建ての4階にQSYしましたが、一軒家にタワーを建てることも考えましたが諸般の事情でアパマンハムを続けることになりました。
IOTAチェイシングを始めた1997年5月から29年経過していますが、アパマン100ワットでよくもまあこんなに続いたものだと思っています。そのきっかけを作ってくれたのがイスラエルの局と朧気に覚えていましたので、この朝に電子ログで過去ログを検索していましたら、急にこの局を明確にしたいと思いました。
頭が"4"を覚えていましたのでコールサイン検索で片っ端から探してみました。10分ほどでありました。再開局して7か月後の1994年9月15日0004JSTに4Z4DXと14MHzCWにてつながり599/599を交換していました。0010JSTに終了していましたのである程度の情報交換をしていることは間違いありません。紙ログにDov(Handle) 、IOTA AS077(My IOTA No.)、QSL buro, 960613rcvとありました。
Dovさんは単純に彼のIOTAチェイシングとしてIOTA番号の多いJA6エリアの局にIOTA番号を確認していたようです。私は朧気でしたがAS077と返信するとともにRMKSに「IOTA AS077」と記載していました。そのあたりの情報交換を6分間の間でしたと記憶しています。まだDXCCベースの頭でしたのでログ余白にはVE97、7Q798カントリーと記載しています。
珍しくないAS077でしたのでQSLはBureau交換となり、1年9か月後に受領しました。再開局して7か月でしたので、「イスラエルの局が私にIOTA番号を聞いてきた」ということだけが32年も頭の片隅に残っていました。
当時はCQ出版社発行のDXノートにどんどん転記して楽しんでいました。IOTAも片隅でしたのでコールサインなども忘れていました。しかし、この交信後に新規に印刷したカードには「AS-077 Kyushu Island」を大きくプリントしました。現在のQSLカードに継承しています。
かなりのハイペースで7/14/21MHzのDXCC100を達成し、28MHzはEU大オープン時に、10/18/24MHzもAPA-4に無理やり乗せて7バンドで100カントリ到達してしまいました。年度ごとに1月1日からDXCCを開始し、100C達成をいつ到達するかをチャレンジしていましたが、最後は好コンディションのおかげで40日で達成しました。しかし、逆に無線の楽しみに不安を感じていました。
それでもIOTAにはとりかかれず、「私の頭の中にIOTAは単に島でしょう。DXCCは国ですよ」という変なプライドがありました。1997年4月にCQ出版社へ1500円分の切手を送り、日本語版IOTA Directory1997を送っていただきました。5月1日からの連休にログからリスト作りと夢中になってしまいました。今では電子ログから簡単にマッチングができるようになりました。
私のハムライフが学生時代のJH6DVLが5年くらいでQRTしてしまいましたが、IOTAチェイシングにより来年5月で丸30年になります。40歳代前半だったのですが、まもなく後期高齢者の領域に入ります。よくもまあこんなに長く楽しめたものだと改めて感謝しています。4Z4DX Dovさんへこの文章を送ってお礼を伝えます。


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